NEWS ニュース

  • 2020.07.18 OTHER
    SNSで公開した「#nomakestory」を公開!(part1/ 2001年・小1~2012年・高3)

    2ndアルバム『ノーメイク、ストーリー』を作っているときに、
    今までのことを思い返すことが多くて。恥ずかしかったこと、忘れようとしてたこと。

    歌と出会った小1から現在のわたしまで 1年ずつ、当時の映像と共に振り返ってみました。
    #nomakestory


    ▽杏沙子Twitter 
    https://twitter.com/asako_rakuda/status/1273934020938567681?s=20

     
      
    「小12001年」

    思い出す景色のほとんどが車の中だ。 気持ちよさそうに歌う母。 その声に負けないように歌うわたし。 窓から入ってくる風が気持ち良くて、車の外の人に聞こえてもよかった。 歌は日常で、家族を繋ぐもので、歌わない日なんてなかった。 わたしの音楽は車から始まった。
     


    「小22002年」
    母は優秀なDJだったと思う。車でたくさんの曲に出会った。松田聖子、槇原敬之、ドリカム、この頃母が作ったプレイリストはこんな感じ。 「この歌詞がいいのよ」 「ここの歌い方が最高」 そんなレビューもいつも添えてあった。母の好きな曲はわたしの好きな曲になった。
     


    「小32003年」
    母は聖子ちゃんの曲を聴くとき、特別楽しそうだった。11曲解説してくれるその曲たちは、どれも違う人のように、どれも違う声だった。 「この人はいくつ声を持っているんだろう?」 この辺から歌詞と歌声に耳を傾けるようになる。
     


    「小42004年」
    好きなアーティストができた。 大塚愛の「桃ノハナビラ」を聴いていたら、頭の中に映像が流れた。身長差のある男女の幸せそうな後ろ姿。女の子の表情まで。とても切なくなった。 アルバムを借りて、父のお古のウォークマンで、家の中でも夢中で何度も何度も聴いた。


     
    「小52005年」
    好きな男の子が他の女の子と仲良くしているのを見て、悲しい気持ちになった。 帰って家で大塚愛を聴いていたら、いつもの曲の歌詞の聴こえ方が変わった。ちょっと泣いちゃったりした。 あのとき確実に恋に恋をしていたけど、初めて「誰かの曲」が「自分の曲」になった。
     


    「小62006年」
    クラスの発表会でグループごとに何かを発表することに。テーマは自由。 この頃から好きなアーティストの曲を学校で友達に聴かせていたわたしは「みんなで歌を歌おう」と提案。 正直に言おう。人前で歌ってみたかったエゴ案だ。でもこの案は通り、初めて人前で歌を歌った。歌ったのはKiroroの曲で「声が似てる」という何気ない友達の一言が爆発するくらいうれしかった。   この頃から歌手になりたいと密かに思っていた。なぜなら卒業文集の将来の夢の欄に「歌手」と書きたかったけど、恥ずかしくて苦肉の策で「音楽関係」と書いたあの葛藤は忘れられないから。
     

     

    「中12007年」
    合唱コンクールでクラスが選んだ曲に男女4人で歌うユニゾンパートがあり、その1人に選ばれた。嬉しくてワンフレーズを練習しまくった。今思えば歌い放題の田舎の一軒家は素晴らしい環境だった。本番後、いろんな先生に「綺麗な声だった」と声をかけられ鼻高々で帰った。
     


    「中22008年」
    歌に確信を得たわたしは、好きな歌手の歌い方をこっそり真似し練習した。 車で密かに披露してみた。このときの顔、ドヤ顔。そんなわたしに母が放った言葉は「最近の杏沙子の歌い方は聴いてて気分が悪い、もっとまっすぐ歌いなさい!」 しばらく母の前で歌えなくなった。
     


    「中32009年」
    初めて友達とカラオケに行った。 家族以外とは初めてだったので震えるほど緊張した。 歌ったのは大塚愛だったと思う。 その友達はベタ褒めしてくれて、ファン1号だと言ってくれた。震えるほどうれしかった。 彼女は今でも必ずライブに来てくれている。


     
    「高12010年」
    本当は軽音楽部が良かった。でもなかった。優しくてかっこいい先輩がいたから吹奏楽部に入りトランペットを選んだ。 練習は週7で部活漬けだった。 しかし壊滅的にトランペットのセンスがなく、ずっと補欠。でもわたしはここで音楽の基礎、表現の楽しさ、繊細さを学ぶ。


     
    「高22011年」
    先輩の誘いで、学園祭限定バンドにキーボードで入った。 古くて小さいサウナみたいな音楽室での人生初ライブは、今なら何にでもなれる、と思うような高揚感だった。 1曲だけいきものがかりの「コイスルオトメ」でボーカルをさせてもらった。 これだ。と思った。
     


    「高32012年」
    進路はもう歌の道しか考えられなかった。 それ以外やりたいことがなかった。 時期的にも追い込まれ、生まれて初めて母に「わたし、歌手になりたい」と打ち明けた。 「知ってた」と表情ひとつ変えず言われた。オーディションを受けたいと母に言ったら、大学に行ってからにしなさいと反対された。 すぐ鳥取に帰ってこられる関西の大学を勧められたが、関東にこだわった。あんまり覚えていないが「東京じゃなきゃわたしの夢は叶えられない。見つけてもらえない!」と真剣に言っていたらしい。
     

    (part2へ続く)

    https://www.asako-official.com/news/?id=608